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妄想代理人の考察 方程式の解と、謎の老人

妄想代理人というアニメを見た。とても面白いアニメでした。

なかなか理解が難しい部分もあり、おそらくすべてが綺麗に解釈で説明できるタイプのアニメではないと思われる。

細部まで徹底的に伏線とその回収がパズルのように組み立てられたアニメを見て、それを解き明かして行くのを楽しむといった人には、そこまでおすすめできない。
しかし私としては、適度に複雑にストーリーが組み立てられつつ、適度にフィーリングな部分もあるというバランスのとれた作品だと思う。

ネット上で解釈をしているブログなども既にあるが、それは違うだろ、というのもあったりするので、今監督のサイトなども参考にしながら、妄想代理人のストーリーを整理・解釈して行きたいと思う。
以下、思いっきりネタバレが含まれるので注意。


第1話から登場する謎の老人

方程式の解

第1話の冒頭で、老人がよく分からない式を地面にチョークで書き、イコールの後に答えを書こうとしたところで、何かに驚き、顔を上げる。
そして、その先に月子の乗ったバスがあり、そのバスが走り去ると「少年バット参上!」という落書きがある。顔を上げ老人はさらに驚いた表情をするが、それは月子を見てのことなのか、落書きを見ての事なのかは不明。

そして、最終話、白髪になってしまった馬庭も、第1話の老人と同じく地面に何かの式を書いている。
注目すべきなのは、これが第1話で老人が書いていた式と全く同じ式であること。
そして第1話の老人と同じように、馬庭も「=」まで書いたところで何かに驚き顔を上げる。

この式の解が何であるのかについて考察したブログやサイトがあるが、実は第1話でこの式の解は明らかにされている。
よって、式の最後が「ア=」となっている事を根拠に、この後には「メ」が来て、結局「アニメ」ということになるのではないかという考察は誤りである。

第1話、月子の病室を訪れた後、刑事達が車を発進させ駐車場を後にするが、この車の下にあの老人が書いた式が残されている。
これはよく見ると、第1話の冒頭で老人が書いていた式と、最終話で馬庭が書いていた式と同じものである事が分かる。
第1話冒頭と最終話では「=」まで書いたところでアングルが変わるため解を見る事ができないが、ここでこの式の解が「510」であることが明らかになる。
そしてその後のシーンでわざわざ映し出される月子の部屋の表札には、「510」号室とある。

第2話、優一が少年バットに襲われ病院に寝かされているところを、あの刑事達が訪れる。
そしてまた、彼らの車が発進したあと、地面に老人の書いた式が残されている。
510という解を導いた式の下に、もう一つの新しい式が書かれている。
そしてその解は「1」で、これはおそらく優一を表している式だ。

老人は全てを知っている?

以上のように、老人が書く方程式は、どうやら少年バットに襲われる人(襲われた人?)を表しているようだ。

さらに、第3話で老人が床に落書きをしているシーンがあるが、4つの落書きは全て少年バットに襲われた被害者を表している。
老人が書いていたのは、鳥、カエル、魚、蝶蝶の四つ。
鳥は鷺月子の「鷺」を表している。
カエルは川津明雄を表している。なぜなら、「かわず」という名字は「蛙」とも書けるからだ。
魚は、鯛良優一の「鯛」の部分。
そして蝶はもちろん蝶野晴美。

この時点では、少年バットに襲われたかのように描かれている人物として牛山尚吾がいるが、彼は実際は少年バットの模倣犯である狐塚誠に襲われただけだ。
もしもこの老人がテレビで襲われた人の名前を知って絵を描いているだけなのであれば、病院の床に書いていた落書きに牛の絵も入っているはずだが、牛の絵はなく本当に少年バットに襲われた被害者だけが描かれている。
ということは、この老人は事前に少年バットが襲う人物を知っているか、事後的に襲われた人物の事を知る能力を持っているかのいずれかということになる。

妄想代理人はエンドレス

「痛み」と対峙する月子

最終回、父親に叱られることを恐れ少年バットを生み出してしまった月子が、初めてマロミに対する謝罪を口にする。
ここで初めて、月子は言い訳をやめて、自分の痛みと向きあったわけだ。

猪狩がマロミが作り出した記号の街を破壊し脱出するときも、「その居場所がないって現実こそが俺の本当の居場所なんだよ」というセリフを言っていた事に代表されるように、現実や苦しみと向き合うということが妄想代理人という作品全体のテーマなのだと思われる。

ループする世界

最終話、少年バットも消え何もかも解決、というようにも思われるが、復興した東京では第1話冒頭と同じように人々の言い訳が聞こえてくる。そして、マロミと似たようなふにゃっとしたネコらしきキャラクターがやはり流行しているらしい。

この点、月子がマロミに謝罪をした時に消えて行く少年バットの最後の台詞、笑いを含んだ「さよなら」という言葉が興味深い。

少年バットの一番大きな存在原理である「言い訳をもたらす者」は決して消え去るものではない、ということを暗示するために「さよなら」の言葉の背後には「また来るけど」というニュアンスが必要だったのである。

妄想の十三「終わり無き最終回。」-その13- より引用

第1話で少年バットが復活した際、少年バットは「ただいま」と言ったが、1話から最終話までの全体で、結局、現実に向き合うことの出来ない言い訳をする人間達はいなくならないという人間の弱さを表現しているのではないか。
偽りの救済であるかわいいマスコットが再び流行している東京、言い訳をする人々。そして馬庭が老人と全く同じ解に辿りつき、視線をあげた先には、1話の月子のような言い訳をする人間が立っているか、あるいは「少年バット参上!!」とまた書いてあるのかもしれない。

最終回のラストは、1話の老人と同じようにして馬庭が出てきて閉めることに決まっていたので、さながら「ループ」しているイメージに出来るという目論見であった。

妄想の八「妄想文化祭」-その1- より引用

第8話「明るい家族計画」の解釈

明るい家族計画とは、コンドームのキャッチコピー。
要するに、「生まない」ための道具である。

この回は妄想代理人の本筋のストーリーから外れているいくつかの話のうちの一つであるが、一番どう考えればいいのか分かりにくい回だったという感想を持った人も多いのではないか。

この回について、今監督の解説があるので引用しておく。

本来「かもめ」という子は初潮すら来ていないような少女であり、「冬蜂」は智恵はあるが生殖能力を完全に失ったような老人であり、「ゼブラ」は生殖能力 が横溢するような健全きわまりない男性に見える外見だが皮肉にも「ホモ」である、というイメージであった。
上記の組み合わせでは子供を作ることが出来ない(別にこの組み合わせに限定されるわけではないが)。換言すれば「生めない関係」である。つまり一見、円満で楽しそうな関係でありながら、ここからは「何も生まれない」という皮肉が込められたタイトルであった。

妄想の八「妄想文化祭」-その1- より引用

個人的な推測に過ぎないが、私としては、妄想代理人というアニメ作品全体で、「生む」ことあるいは「生まない」ことが重要なテーマになっているのではないかと思う。

月子は、初潮による痛みでその場にしゃがみ込んでしまい、マロミのリードを離してしまった。
初潮は「子供の月子」の死を意味し、子犬たるマロミの死もそれを表している。
しかし月子はその死を咀嚼できず、正常な大人になることが出来なかった。
「生める」体(=大人)になったはずの月子からは、少年バットと(キャラクターの方の)マロミが生まれ、偽りの癒しを月子や他の人々に与えることになる。大人(=初潮を迎えた生める体)になったはずの月子は、ずっと「子供の月子」のままで、故に不思議ちゃんとして生活していたわけだ。

猪狩の妻は「生めない」体なわけだが、美佐江も猪狩も(猪狩は記号の街でダメ人間に一度はなったが)現実に立ち向かって生きていこうとしていた。

楽しそうだが何も生まれない空しい関係、生める体になったが心は子供のままの大人、生めない苦しみに立ち向かう夫婦。ここに一貫したテーマがあるのかは正直よく分からないが、8話に位置づけを与えるとしたらこんなところだろう。

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 2 )
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  1. はじめまして、たもつと申します。
    妄想代理人についての考察拝読しました。
    私も今シリーズを一度見て、もう一度各話ずつ見ては考察をブログで書いていこうと考えております。
    貴ブログはとても的確な指摘が多く、私の考えとも重なる解釈が多いように感じました。
    そこで、これから書く私のブログにも場合によっては引用という形でリンクと文章をお借りするかもしれません。
    もしよろしければご返信下さい。
    お時間あるようでしたら私のブログへの感想もいただければ光栄です。

  2. アニメを見てこの作品はほとんど意味をなしているように見せかけて、実際には何のつながりもないのではとさえ思いモヤモヤした気持ちで読みました。作者のコメントも引用した解釈ということで、なるほどなと思う部分が多くあり、とても参考になりモヤモヤした気持ちが氷解したように思います。いい考察でした。ありがとうございます。

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